当院が得意なケース

当院が特に得意なケースは、慢性的な頭痛と腰痛と肩こり首こりです。

鍼灸の研究は元々、この元々とは100年くらい前の話しです。

ここで言う元々とは、お寺から大学に移行した明治~昭和にかけての話しです。それより古い話しは長くなるのでカットします。

あまり、知られていないのですが、健康と長寿の研究で鍼灸は成功しています。

その結果、先進国では慢性的な頭痛、腰痛、肩こり、首こり等はもちろん、健康や長寿の為に鍼灸治療を使っています。健康、長寿の界隈では画家のピカソが鍼灸の愛好家だったというのは有名な話しです。

健康、長寿と言うと難しく感じるかもしれませんが、ざっくり言えば、ほとんどの人間が、最終的に糖尿病、脳血管系、癌(悪性新生物)で人生詰みます。であれば、逆にこれらをある程度、退けられば、良いわけです。

この施術のすごいところは、体質改善のついでに頭痛、腰痛、肩こり、首こりすらも治療します。そして、他の追随を許しません。

ところが、慢性の頭痛、腰痛、肩こり解、首こりを解消する、体質改善ではない、鍼灸院やその他の医療機関に行って、そういった結果を期待して、当然、改善しないというケースが常々に行われています。たまたまそういった機関が近くにないのか?探せないのか?悪化しすぎて判断が難しくなっているのか?理由は色々と思い付きますが、少しでもそういうミスマッチを減らせれたら良いと私は思います。

当院が苦手なケースは

当たり前ですが、虫歯と骨折が苦手です。これは、あはき法、薬事法に明記されていて、法的にも無理です。

実際、虫歯、骨折で来院された方はみえません。

稀に電話確認入りますが、スポーツ系も苦手です。断ります。

美容鍼灸も自分が学生時代にはなかったので、知りません。断ります。

発毛もたまに相談受けますが、断ります。

子どもの治療はひとまず、小児鍼の他院を勧めますが、引き受けることもあります。

うつ病の治療もよくします。ただ、躁鬱病の治療は断っています。学生時代に、授業で断るように教わったのでチャレンジした事はありません。

耐え難い程の激痛症状も苦手です。ろくに鍼灸できないので処置できません。そちらは、ペインクリニックとか鎮痛系の治療院とかが専門で、うちは専門外ですから無理です。

鍼灸について補足説明

何が得意か苦手かを説明する以前に、一般の人向けには日本における鍼灸について説明しなければいけませんので、補足させて頂きます。興味がある方は読んでください。

上で100年前の話しをしたので、この時代な有名な鍼灸師 (中山直隆) (1917–2005) 先生の説明をします。中山先生について、よいまとめがネットにあったので、それを使わせてもらいます。元は英文なので翻訳の方を読んでください↓

>「Naotaka Nakayama (中山直隆) (1917–2005) {wife Sadako (定子) (1911-2017)} was a Japanese acupuncturist. Japanese acupuncture developed its own ways largely in old capital Kyoto and Edo (Tokyo) by using very fine needles that make often feel no pain when penetrate skin. Naotaka was born in a famous acupuncturist family known as “Kiyamachi no Hari” in Kyoto Japan who succeeds Osuga-ryu, predecessors include Kiku (19th century) and Naojiro who treated emperor’s relative Kunino miya ke(久邇宮家) and Prime minister Saion-ji(西園寺) and renowned professors of Kyoto University, including Dr Ogawa(小川), father of the first Japanese Nobel laureate Dr Yukawa(湯川), were among them. He served for various executive positions of the Acupuncturist Association of Kyoto since 1948, the president 1986–1992. He also served as a president of the Academic Society of Acupuncture of Kyoto 1980-1993.」

↑(翻訳)

中山直隆 (中山直隆) (1917–2005) {妻貞子 (定子) (1911–2017)} は、日本の鍼灸師でした。日本の鍼治療は、古都京都と江戸(東京)で独自の方法を開発し、皮膚に刺したときにほとんど痛みを感じない非常に細い針を使用してきました。直孝は、大須賀流を継承する京都の「木屋町の針」として知られる有名な鍼師の家に生まれました. (西園寺)や、日本人初のノーベル賞受賞者湯川(湯川)博士の父である小川(小川)博士など、京都大学の有名な教授たちもその中にいた。 1948 年から 1986 年から 1992 年まで会長を務め、京都鍼灸師会のさまざまな幹部職を務めました。 1980年から1993年まで京都鍼灸学会会長を務める。

私にとって鍼灸といえば「 feel no pain when penetrate skin」これですね。ノーペインです。
そして銘家、名士バリバリのエリート達の世界のフィクションです。でなければ、この時代に世界に広まりません。
本を読まない、テレビでしか世界を知らない人にはイメージが難しい世界です。

次の英文に行きます↓
>「After World War II, Acupuncture and Oriental Medicine were considered as uncivilized acts by GHQ during occupation of Japan, lost the social position as a medical treatment, although Kyoto University Physiology Professors Ishikawa(石川) and Sasagawa(笹川) demonstrated effectiveness of acupuncture to the Americans and ban was avoided, but due to the incident acupuncture was almost forgotten in Japan (dark age). He contributed to social re-establishment of acupuncture as important health care treatments. He helped establishing Academic society of Acupuncture of Kyoto in 1948 together with Akashi(明石), Otsuka, Hirota, first president Akashi, and in the same year published the first issue of The Journal of Autonomic Nervous System(自律神経雑誌) and also helped establishing Japan Society of Acupuncture and Moxibustion 1980, the first president Kentarou Takagi(高木健太郎), who had been president and Dean of renowned Japanese Medical Schools and also a congressman of Japanese parliament, with whom Naotaka deepened friendship. Not only his practice and academic activity gained social recognition, he worked for entire Japan level to gain insurance coverage by National Health Care Insurance for acupuncture treatments that later partially granted. Owe to his and others efforts as well as social circumstances; in the end of 20th century acupuncture regain social status in Japan. Now acupuncture became popular and commonly practiced again in Japan.」

↑(翻訳)
第二次世界大戦後、日本の占領中にGHQは鍼治療と東洋医学を非文明的行為と見なし、治療としての社会的地位を失いましたが、京都大学生理学教授の石川(石川)と笹川(笹川)は鍼治療の有効性を示しました。アメリカ人と禁止は回避されましたが、事件のおかげで日本では鍼治療はほとんど忘れられていました(暗黒時代)。重要な医療処置として鍼治療の社会的再確立に貢献しました。 1948年、明石、大塚ヒロタ、初代明石学長とともに全日本鍼灸学会の設立に貢献し、同年には自律神経雑誌の創刊号を発行。 1980年に全日本鍼灸学会を設立すると、高木健太郎(高木健太郎)は、有名な日本の医学学校の学長や学長、また日本の国会議員でもあり、直隆が親交を深めました。彼の実践と学術活動は社会的に認められただけでなく、全国レベルで働き、後に部分的に認められる鍼治療のための国民健康保険の保険を取得しました.彼や他の人の努力や社会的状況による。 20世紀の終わりに、鍼灸は日本で社会的地位を取り戻しました。現在、鍼は人気となり、日本で再び一般的に行われています。

↑高齢の患者さんは、太い鍼、膿がでるくらいの灸の話しをしますが、これがいわゆる (dark age)です。第二次世界大戦から、結構、経過したと思うのですが未だにこうした観念を払拭できていない現状を日々感じます。それだけに、この無痛で新陳代謝を上げる鍼灸術を使うのは楽しいと感じています。
全国レベルでとありますが、岐阜県羽島市では全然、知られてませんからね。普及するには、まだまだ先の話しですがコツコツやっていきたいと思います。