院長の思ったこと

最初はブログでも書こうかとも思ったのですが、私の日常は、かなりおもしろみがありません。

土曜日、祝日は通常営業。日曜日は親族に鍼灸治療しています。平日とあまり変わり映えはしません。
そこで、思ったことや、感じたこと、書きたいことを適当に書こうと思いつきました。

気とはなんぞや?

「気」とはなんですか?と期待に満ちた表情で聞かれることがよくあります。
この表情を見ると、「あ~、完全に誤解されてるよな」と直感します。

鍼灸は老荘思想から派生した学問なので、まずは、老荘思想の説明になりますが、
例えば、パンを燃やしても、動物を燃やしても、二酸化炭素になるし、炭もカーボンだよね?こういうのが循環するよねって話しを解りやすく解説しているのが老荘思想です。
ダムの水の位置エネルギーが水力発電で電気に変換されて、モーターを動かす。
でも、いいけどいわゆる物理的な話し等を感覚的な話しにしてる印象です。

万物は気でできていて、気は生物になったりするけど、無生物も気でできていてみたいな話しです。

鍼灸をした場合の人体のエネルギーの活用法を、この話法を用いて解説しているのが鍼灸の古典です。

実際、我々が今日、日本の鍼灸師が使用している知識は古典そのものではなく、近代日本人が、皮膚のグラムを計測したり、電気の流れ易さを計測したりして、裏をとった古典の手法です。

その辺りは、脱線して鍼灸の歴史の話しになってしまいますが、物理学の話しなんだから、当然、物理学で裏をとれるというわけです。
理屈はそうでも、実際にやるのは相当大変だから、研究結果を感謝して使わせてもらってます。

東洋医学の気

一番基本的なとこは、生命力が3つの気によって支えられるの腎気はおいといて、
あと2つ胃の気と肺に気ですが、肺の気はの空気も重要なんですよって下りがあります。

これ、中学理科だと細胞内のミトコンドリアが酸素を利用して~の話しで

これが、高校の生物になると、酸素とは言ったけど、実際は電子伝達系で間膜からH+イオンを汲み出してここからATPを合成してで、人間は実は水素エネルギーだったのか~とか、計算すると実に素晴らしいエネルギー効率なんだなとやけに感心したのを記憶していますが、
それをシンプルに肺の気と表すわけです。胃の気は普通にカロリーです。加水分解、異化、同化のアレです。

紀元前の古代の人が色々と論じるわけですが、結構、的を捉えているのが面白い。

鍼灸の気

古代の人が実際に紙面を割くのは、実際にどんなケースならどんな場所に鍼灸するかの考察方法で、中学、高校でならう理科の部分はあっさりしてて、専門知識というのが、気血の話しなんですが、知識だけではどうにもならないので修練が重要になってきます。

知識だけだったら、どの古典系な鍼灸の本にも書いてある知識で、また黄帝内経だろうが十四経発揮だろうが、それを解説した近代の本だろうが共通する話しになってきますし、国家試験ででるのもこの部分です。

五行と私の鍼灸治療のこと

五行の考え方

私は、目的と言うものを重視します。私の治療目的は、

  • 治療効果を出したい!
  • 持続性を出したい!
  • 段々と治す。体質を向上させたい。

なので、それ以外の事は、結構、ぼやってしています。
あくまで想像ですが、古代の人もそういう人がいて、治療法が編み出せれたのでは?と考えています。

そう考えるのは、経絡治療の場合、「14経を発揮する」という書物があります。脈診で診るのは12脈です。
「アレ?五行は?」って疑問がでてきます。一応説明すると5(+1)×2で12経に、+2つの別の経で合計14なのです。

これはどういうことかと私の解釈では、すごい治療法が先にあって、どうしても5つでも足りないし、倍にしても少し足りない。んじゃ、増やすかという発想なのでは?と思います。結局のところ、治療に再現性があって、思うような効果が出せればいいので、そんな感じなんだと思います。

実際に上記の私の目的は、この14経により満たされます。ムリムリ五行にこだわらないのが、五行のコツだとも思っています。

聞かれるから、なんとなくこう答えていますが、実際のところ暗記しているだけで、ドレミファソラシドと一緒で、なんでって言われても決まりとしか言いようがない。

経絡って何だろう?

こういう疑問は、当然出てきます。

一般的には、小難しい話しになるので、施術についての説明では、なるべく解り易い説明をしていますが、敢えて一般的な言い回しを使うと「身体には、エネルギーの流れるラインがあって、メインルートを正経といいます。このラインが12本あります。これを整えます」という話しになります。

また私の携帯電話の辞書で「経絡」で調べてみると「漢方で、灸や鍼のつぼとを結ぶ筋道」とありました。

こういう説明だと、疑問は何も解消しないだろうと思い、この言い回しを避けたのですが、これは、いわゆる概念です。
我々人間は、概念で目に見えない働きを概念でならとらえる事ができるのです。

解りやすく言えば、今日は「元気がない」に対し「元気見せて?」と思っても目に見えません。それと同じことです。
見た感じ、昨日と変わりなく同じ人物なのに、元気のない日とある日がありますよね?で人を元気にする方法を研究して見つけたとします。
この方法には再現性があり、いつでもある一定の法則で人を元気にできます。つまり技術なのです。「目に見えないけれど、確かに存在する働き」このことに注目しているのが東洋哲学です。

経絡治療と経絡は別物?

よく質問されても上手く説明できない難問が、経絡と経絡治療の説明です。
答えは一つではなくて・・・。

私が学生の頃の印象ですと、鍼治療=経絡治療なので他が無いんですよね。
無理やり、他を出そうとすると、中国鍼とか良導絡とかって治療があります。

学生の頃の授業で習った程度の話しですが、周りにやろうという人がいないから、そちらは深くは知りません。
下手にこっちの説明をし始めると、そっちを深く聞いてくるので自爆してしまいます。知らないって言ってるのに・・。

そこで、答えの代わりに考えたのが、(Acupuncture keiraku)=鍼と経絡の英訳で検索したところ英文のサイトに柳谷素霊率いるチームが開発した鍼灸のジャパニーズスタイルと書いてありました。
これ、妥当な説明だなと感心しました。

経絡は全世界みんな使うけれど、経絡治療はジャパニーズスタイル。

日本の経穴を使う治療の名称が経絡治療という名称でなければ、経絡単体の単語と混同する事はないとは、思いますが、今更、換えられないんじゃないかと思います。

魂魄について?
ようは、「元気も魂も命も目には見えないけど、理解を深めるとこはできると前向きに考えたわけですから、昔の人は発想がすごいです。

先天(せんてん)の気という概念?
東洋医学には、先天(せんてん)の気という概念があって、生まれつき持っている腎に蓄えられた生命力を指す言葉です。
個人によって、この量の差があるという説明が続きます。

この量が多い人は、エネルギッシュで、少ない人は、仕方なしといった概念です。
多い人を羨んでも、どうしようもないので、人と比べてもどうしようもないのです。

後天の気?
こっちは、努力でなんとかする概念です。
基本的に食べ物の氣と肺からの氣。

水穀の清気とか、これから→営気・衛気になって、また宗気はなんたらって話しで
ようは、内蔵の機能を保つ重要性ですね。

先天の気と後天の気って、先天はどうしようもないし、後天は努力できるという概念の説明と私は解釈しています。

経絡って他に例えられないの?

こういうニュアンスの質問がたまにあります。

ようは、経絡は、自律神経なの?リンパなの?体性反射なの?って思う人もいるかもしれません。
私はこう考えています。そのどれからも遠いから、大きな価値=絶大な効果があるのだと。

だいたい経絡治療しかしない、興味のない経絡治療の専門家というのは、「うわ、どうしてこんなに効果がでるんだろ?(目的が順調にかなう)すごいな?」から入ってしまうので、「とりあえず身に付けよう」になって、身についてしまうと、私の場合であっても十年間、経絡治療しなかった日なんて無いのだから感覚としては、顔洗うとかご飯を食べるのに近い感覚です。

洗顔や食事を「他で言うと何?」って聞かれたら「変な質問するな?」って一瞬思うけど、「食事の代わりや洗顔の代わり」がないから「毎日するのか」と新たな発見があるわけで、価値を感じる理由も既存のどれでも無いからなんだなと妙に納得してしまうのです。
病院勤務時代は通常の手技整体と比較実験してもらい、骨盤や背骨のズレ、可動域での効果の差を再確認してもらう。それで提示してきたけれど、それ以上のなにかがあるから、価値があると思うわけですよ。

便宜上、骨盤や背骨、可動域で説明してますけど、あくまで便宜上です。それも含まれるというだけのことです。

経絡って他に例えられないの?その2

実は私は子供の頃からの夢で、手に何らかの職をつけてもくもくと仕事したいという願望がありました。

それで、酒造会社に勤めていた事があります。
その時は漠然と、「手に職・・」と考えていたのですが、その時期に本当は鍼灸がやりたいという思いが強くなって、現在に至るわけです。

前置きが長くなりましたが、この鍼灸の経絡治療は、例えとして私が以前していた酒造りに似ていると感じます。

それは、どういう事かというと、例えばアルコールは原料となる糖を酵母という生物が生産するわけですが、それをパスツールさんが発見する前、ずーと以前から酒造りは行われていたわけで、現実には、方程式の主要部分が解明されていなくとも答えを出すことはできる。という事実があるのです。

もっと言ってしまえば、微生物の研究者と酒造りの杜氏さん、どちらが知識があるかと言えば、微生物の研究者でしょうが、旨い酒を造れるのは杜氏さんです。
杜氏さんは知識ではなく経験と技術があるのです。治療家というのはこちらなのです。

もう一つ共通点で、糖から酵母の出す酵素でお酒ができるわけなのですが、この酵素は触媒であって反応を促進させているだけのタンパク質です。
この酵素と鍼灸が似ているなと学生の頃から思っていました。

鍼や灸もそれ自体の科学反応やエネルギーの様なものでなく、触媒の様なもの。つまり不活性化した生物を活性化する触媒。薬は化学反応ですが、鍼灸は触媒。この違い。

例えに酵母の話しを出しましたが、高校の授業で習ったように、我々生き物自体、様々な酵素反応で生きているわけで、酵素がなければ、生命活動に必要なエネルギーを得ることすらできない。

人間に効果のある触媒を考案すること自体は、それほど特別な発想ではないと感じます。
実際に鍼灸薬学のhow-to本の黄帝内経の本を書いた著者には天才でしょうが、鍼灸自体をそこまで不思議とは思えない。
あくまで、私個人の私見です。

岐阜市からの経絡治療

岐阜市と羽島市は隣接しているので、近いです。日置江からだったら5分くらいでこれます。

岐阜市の方から、当院への行き方の問い合わせが多々あります。

地図アクセスの項では十分説明できなかったのですが、岐阜駅周辺からでも、混雑時でも安定して40分で当院へ来れる、よい道があるので紹介させて頂こうと思います。

岐阜市の方から経絡治療のことで聞かれます。参考に
岐阜市の方から鍼灸治療のことで聞かれます。参考に

猫背は、ムリに治さないで

私は過去、かなり猫背でした。小学生の頃から酷かったので、結構色々な人から指摘されました。

今は、自分で鍼灸して治したので、普通です。
手足に鍼するような自己矯正ならいいのですが、意識して治そうとすると身体を壊します。なぜなら、本質は治ってないのに、無理するから、無駄な負荷がかかるからです。

いずれにしろ、治す方法はあるけど、自分でなんとかして体調崩すのは、仕方ないことなのです。

猫背は、気にせず、腰痛や肩こりついでに治していくスタンスで、治すのがいいです。変に意識しない方がいいと思います。

一喜一憂では、いい方向に行かないと思います。

痺れについて考えてみた。

日常的に、痺れや麻痺についてよく考えます。

このホームページの痺れ、麻痺の項目はかな~り簡略化して、サラッと書いてありますが、実は「痺れ、麻痺」の範囲はかなり広いのです。

でも、病名とか、運動麻痺やその分類とか、感覚麻痺だとか、痙性麻痺がどうのとか書くと、伝えたい事が余計伝わらないので、敢えてやめました。

脳卒中や脳梗塞の場合

例えば、脳梗塞後遺症→半身麻痺の患者さんでも程度はピンキリです。

鍼の治療後、患者さんから「すごくいい」と良く言われました。

この場合の「すごくいい」は、患側の痛みなのか?全身が充実する感じのことなのか?詳しく患者さんに問いただした事はありませんが、恐らくそのどちらかだと私は考えています。

では、麻痺側は?と言われたら、治る速度から考えて、そんなに実感できるのか?と疑問が残ります。

リハビリ病院勤務時代、同僚に「認知運動療法」のスタッフがたくさんみえて、情熱的に勉強をしてみえていたので、私もこういった考えに賛成なのですが、こういったとは、「脳にダメージのある麻痺は、脳に効果のある治療でなければダメだ」という事も含めて、すごく時間がかかるのと、「現在の日本の脳にダメージのある麻痺に対する対応への疑問ですね。」

実際の現状は、完全に現場では、敗戦処理状態です。

この手の専門書を買っても、こういった現状から、敗戦処理状態をまず前提に考えるのですが、簡単に言うと

厚労省も現状効果が無いと半年以降のリハを打ち切った。

  • さらにリハビリの後退
  • 効果はないけど維持には必要なのでは?
  • 脳を主体とした新しいリハならどうか?

というような感じです。

もちろん中には、そんなに酷くない人もいるので、書いてても説明に誤解招きそうです。

「まず、自分はどうなのか?」を聞くなる、調べるべきです。

これがこの話しの結論です。関心をもって正確に状態を知りましょう。

経絡治療と麻痺について

依存しちゃいませんか?

当院の治療の捉え方は?

稀にですが、「治療に依存しちゃいませんか?」的な質問をうけます。
慰安施術なら、依存もありえますが、健康向上はその真逆、自立を目指すものなのです。

こういう質問を受けると、話したい事で頭の中がいっぱいになります。
うちの治療は依存ではないけれど、「依存ってそんなに悪い事なの?」って話しをしてしまえば、「あ、やっぱりここの施術は依存なんだ」って誤解されちゃうのが嫌なのであえてしないようにしています。

この依存という言葉は不思議な感じがします。
依存というくくりを広く考えると、我々人間は言葉や文字や道具や服に依存しているって事にもなりかねないし、健康に依存?ってもうそれって自分そのもので依存って言わないんじゃない?いつのまにか逆になっている始末。

それどころか、言葉や文字や道具や服も許そうよって思うし、もちろん、仲間や家族に依存も許そうよって思いますよね?それどころか、ネットも車も家も携帯も許すというか無いと不便で仕方がない・・。

そうやって考えると正確に「依存症になりませんか?」と聞かれた事はないです。そしたらキッパリと「依存症にはなりませんよ」って答えられるのに。

そういえばこの文章もネットで書いているわけだし・・、私が「ネット依存症」になるんじゃないのか?ネットなんかやっていて大丈夫なのか?というのは冗談ですが、この「ネット依存症」という言葉は本当にありますが、これって生活に支障をきたすかきたさないかが、問題であって依存かどうかが問題じゃないんですよね。

改めて「依存しちゃいませんか?」と聞かれた時に、今のように長々と話しをするわけにもいかないし、やっぱりこの質問は困ると思う今日この頃です。

不妊治療専門ではない治療院の不妊治療

伝統的な東洋医学の鍼灸に病名はありません。

元々、対極療法という経穴を用いる鍼灸から、病名や症状とは別次元での個人差を判別し対応する鍼灸が経絡治療なので、治療を不妊症という症状に限定すると、矛盾が生じて違和感しかありません。

経絡治療を簡単に説明すると、「○○治療専門ではない治療院の○○治療」
というワードがなんとなく思い浮かびました。

国家資格と民間資格

ずんずん運動という事件がありました。

ずんずん運動というのは、施術といって、乳幼児が死亡してしまった事件ですが、鍼灸師という立場から思うことがあります。

まず、なんらかの医療資格を持っていたら、頚をあれだけ曲げれば死亡する、後遺症が残る危険な行為だという事は容易に想像できるはずです。
国家資格ならば、頚が命取りになることは、当然、授業で熟知している部分です。

それでは、民間資格とは何か?
簡単に言うと、「勝手に名乗っている資格」なだけです。

これに対して、「無資格者(民間資格者)を野放しにするな。」という意見があります。

私はこれについて思うのが、それもそうだけど「個人の判断力というのがあるよね。」ってのが正直な感想です。
まず、自分がやってみてから、次に赤ちゃんもとか、明らかに危ないから止めようとかで防げそうな事件ですね。

実は法律で○○医院とか○○治療院とは、勝手に名乗れないんです
ね。
なりすました場合は仕方ありませんが、ある程度名称で判断できます。
当院では、私が国家資格者であることを提示する為に、見える場所に鍼、灸、マッサージの免状を置いてます。
なりすましじゃない事を証明する目的です。